浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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「行者正受金剛心」のトンデモ解釈(その2-2)

2009.10.15 (Thu)

 先回のエントリで「 これが果たして、浄土真宗といえるのでしょうか??(続く)」と書いて続きを書いていなかった間に様々なエントリが他のブログで展開していたので紹介していきましょう。私が言いたかったことを、詳しく、分かりやすく書かれてありますので非常に勉強になりました。
 私なんぞはまだまだ勉強不足です。

さよなら親鸞会
投稿:方向を間違った教え
・ここ2、3年間では、
「善をしなければ信仰は進みませんよ」
「信仰が進まなければ救われませんよ」
と説かれております。
 そして、2009年6月の降誕会で会長が「修善(親鸞聖人の場合は比叡山での20年間のご修行)をしたから、悪しかできない自分が知らされ、極悪人と見抜かれた願に相応して、救われたのだ」という珍説を説いた件について書かれております。私はその1週間後に「私の白道」等を読んで退会にこぎつけたわけですが、行かなくてよかったです。

21世紀の浄土真宗を考える会
観無量寿経のこころ その1 定善
観無量寿経のこころ その2 散善
不可解な言葉に関する考察 その1「善をしなければ 信仰は進みませんよ」
不可解な言葉に関する考察 その1「善をしなければ 信仰は進みませんよ」②
顕正新聞を読んで

・親鸞会では、「韋提希夫人が釈尊に無条件服従で定善を行い、助かった」と勘違いし、
「『行者正受金剛心』とあるだろう!無条件服従で金集め、人集めを行なうと韋提希夫人みたいに助かるのだ」
と教えているようですが、もう一度、「観無量寿経」を拝読されることをお勧めします。現代語訳もお読みになられた方がいいかと思います。

清森問答
質疑応答179
質疑応答180
質疑応答181

・親鸞会で勧められているのは有漏善であるという所をよく読んでいただきたいと思います。「善が出来ない自分だと知らされるために善をする」と言いながら、会員さんの目の前に、真実開顕賞や恩徳報謝賞をぶら下げ、煩悩をかきたてるやり方は、実に酷いですね。

 現在「安心問答」の「善をしなければ信仰は進まない」ってどう思いますか?コメントが募集されております。
 思うところあればどうぞコメントお願いします。
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「行者正受金剛心」のトンデモ解釈(その2)

2009.10.12 (Mon)

 親鸞会の会員のブログの教義面の解説を見ますと、「頭が狂うと尻尾も狂うのだな」と思わずにはいられませんし、その人の理解や信仰がいかなるものかが窺えてしまいます。悲しいことです。

聞いてさえおれば助かる?

 昨日は、「仏法は聴聞に極まる」について、高森顕徹先生の御法話をビデオで聴聞しました。

「聞く一つで助かる」ことを、「聞いてさえおれば助かる」と誤解している人が多いと言われますが、それは全く違うことを教えて頂きました。

 教えを聞くということは、教えに納得するということであり、教えを納得したならば、教えの通りに実行する筈です。

 高森先生も、次のように教えられています。


 知りながらテストに白紙を出すバカがいないように、知った分ったといっても実行がなければ分ったとは言えない。行者正受金剛心、與韋提等獲三忍”(正信偈)
とあるように韋提と等しく金剛心を正受するのは行者なのだ。
“そんなことできません”と韋提希は言ってはいない。
 一途に彼女は釈尊の教えに従っているではないか。
 教えに従ってこそ行者、知っただけでは行者ではない。


 救いに遇うまで進ませて頂くには、実践が大切ですね(^^)(浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介「聞いてさえおれば助かる?」より)


 恐らくブログを任されるということは、講師部か、支部の幹部であろうと思われますが、この幹部は少し賢いのか、会長の「年頭所感」を出しております。しかし、解釈は相変わらずでして、「行者正受金剛心」の正信偈の「行者」を「善を行なった人」と規定しております。
「行者」が善を行なった人でも、親鸞会の教えに従って献金や人集めをしている人でもないということは、「『行者正受金剛心』のトンデモ解釈」で示した通りです。

 今回は、別の角度から突っ込んでみましょう。このブログでは、聴聞の義を、以下のように言っております。
「教えを聞くということは、教えに納得するということであり、教えを納得したならば、教えの通りに実行する筈です」

 では、実践というのは何をさしているのでしょうか。会長はこのように言っております。

「そのゆえは、もろもろの雑行をなげすてて」と、朝夕『聖人一流の章』で教えられているが雑行が棄たらない。

 煙草のまない人に“煙草のむな”と言う人がいないように、“煙草止めよ”、と言われるのは、煙草をのんでいる人にである。

 同じく、雑行を棄てよ、と言われるのは、雑行をやっている人にである。

 雑行とは、一大事の後生に驚き、弥陀一仏に向かい、なんとか後生助かりたいと思い、真剣に励んでいる諸善をいうのである。

 後生助かりたいの思いもなく、真剣に諸善もせず、弥陀一仏にも向かってない人に、雑行を棄てよと言っても、分からぬのが当然である。

 雑行と言われるものが、問題になるところまで進んでいないからだ。

 なぜ真剣に諸善もせず、弥陀一仏にも向かないのかと言えば、後生の一大事が問題になっていないからである。

 後生の一大事が、なぜ問題にならないのかと言えば、三世因果の道理が徹底していないからだ。

 釈尊が先ず、因果の道理を教えられた仏意が知られよう。

 阿弥陀仏の19願は、少しは諸善ができる、少しは助かる手がかりがあるだろうと思っている自惚れ心を粉砕し、雑行を棄てさせる方便願である。

 この阿弥陀仏の19の願意を開説されたのが釈尊の『観無量壽経』であり、“機の真実”が説かれた経とされている。(浄土真宗親鸞会 射水市周辺地区の紹介「雑行が棄たらぬ」より)


 この、深い御心(笑)を意訳すると以下のようになるかと思います。

 親鸞聖人の教えは三願転入だから、19願の善として、財施や破邪顕正が教えられているのだ。まずは仏法を理解して後生の一大事を知り、知らされたら田んぼも畑も家も全部売り払い、アパートに住んで財施をしなさい。2000畳が満杯になるよう、ダミーサークルでも何でも使って嘘八百並べてでもいい、人を連れて来なさい。ただし、無条件服従しないと19願は分からない。
 雑行雑修自力の心を知るには30~40年かかる。講師部でも19願の入り口にも立っていないのだからヒマかかるぞ。平生業成、一念往生と言われるが、実際は100年、200年で得られるちっぽけなものではない。30年、40年求めて得られる簡単なものでない。
 ただし、オレに無条件服従してきた者は、臨終に観音菩薩の説法に遇えるぞ。除名になった人や、やめた者?「一切衆生 必堕無間」に決まっとるやないか。


 これが果たして、浄土真宗といえるのでしょうか??(続く)

「行者正受金剛心」のトンデモ解釈

2009.10.08 (Thu)

 親鸞会の講師部員が、正信偈のお言葉に対するトンデモ解釈をしております。おそらく会長の説教を鵜呑みにしてそのまま晒したのでしょう。

 親鸞聖人のお書きになられた正信偈の中に「行者正受金剛心」という御言葉があります。


 親鸞聖人は「行者」が「正しく金剛心を受ける」と教えておられます。

 
 「行者」とは「行う者」「行く者」ということ。

 御釈迦様の教えの通り行う人、御釈迦様の教えられる道を行く人は

 「金剛心(絶対に変わらない心、崩れない幸せ)」の身にさせて頂けると
 いうことですね。


  仏教で教えられている通り、実践しなければ、結果は出ません。


  善いタネを一生懸命蒔きましょう☆
浄土真宗親鸞会親鸞聖人の教えを新潟で☆☆☆ 行者正受金剛心


 これは、新潟にいる、ある講師部員のブログからの引用でありますが、本願他力の意趣にそむいています。
「仏教で教えられている通り、実践しなければ、結果は出ません」の言葉から見ますに、信心決定までにやらねばならない行があって、それをやれという指示に無条件服従し、やった人が「行者」であり、金剛心を獲る資格を持っているかのような感じを受けますが、そうではありません。
 こういう風に言いますと、「それはあなたの勝手なお味わいであろうが、聖教にないものは、仏法ではありませんよ」という会員の声が聞こえてきそうなので、様々な解釈を通して、この「行者」を味わってみましょう。

 まずは、蓮如上人のお言葉からです。

「開入本願大智海 行者正受金剛心」というは、本願の大海にいりぬれば、真実の金剛心をうけしむ、というこころなり。「慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽」というは一心念仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜悟信の三忍をうべきなり。(正信偈大意)


 蓮如上人は、「本願の大海に入れば、金剛心を受ける」と説明された上で、「一心念仏の行者」が一念慶喜の信心が定まれば、韋提希夫人とひとしく、喜悟信の三忍を獲ると教えられております。親鸞会の教義のように、親鸞会に財を施し、本部に人をお連れした人が行者であり、その人が金剛心を受けるなんて解釈はなされていませんね。

 次に、歴代の学者はどのように捉えているかを見てみましょう。まず、香月院深励講師です。

「行者正受金剛心」。願海に帰入する処が、即他力金剛心を行者へうる処なり。故にこの句に「行者正受」等と云。
「行者」とは、上句の願海に帰入する行者なり。爾ばこの二句が合していはば、他力金剛心をゑて本願を信ずる相なり、「明信本願相」とす。故に二句の科文を「明信本願相」とす。文の拠をいはば、「十四行偈」の「正受金剛心、相応一念後」この文に依る。(「正信偈講義」香月院深励講師 講述)


 香月院深励講師もまた、「行者」を「願海に帰入する行者」と言われております。そして、他力金剛心を獲て、本願を信ずる姿であると言われていますが、その中に、諸善を規定した言葉があったでしょうか?心を空しうして、言葉に対峙してください。

「行者」とは有縁の人を挙ぐ。「正受」とは、本はこれ三昧の翻語。邪乱を離るを「正」という、法を領納するを「受」という。今は則ち聞信の異称なり。彼の喚遣を聞き、猶予斯に息み、一心正直に願力に乗ずるが故に。(「正信偈要訣」石泉僧叡)


 石泉僧叡師は、「有縁の人」と言われております。では、この有縁が何を指しているのでしょうか?後々のご文の解釈から見ますに、聞信して法を領納した人であり、一心正直に願力に乗じた人であるのが分かります。

 また、利井鮮妙師は、このように解釈しております。

行者とは、能信の者を指す。
○正受とは自力邪雜の念を離れて、正直に佛智を領受するを云ふ。即ち他力信心のことなり。爾るに正受の言は、もと是れ三昧の異名【『玄義分』八丁】なれども、今は轉用して、他力金剛心を顯はす。
○金剛と言ふは、即是れ無漏の體なりと。之れは無漏の佛智を金剛と云ふ。此の信佛智を領受するが故に、能信即金剛心なり。二に喩金剛、『散善義』(九丁)に「金剛の若くなるに由て」とあり、此の信一切の内障外障の爲に破壞せられざる信心なるが故に。但し『玄義分』の金剛心は等覺の金剛心にして自力なり、今は他力の金剛心とす。蓋し轉用なり。(「正信偈摘解」利井鮮妙)


 まず、「行者」を「能信の者」と指しております。そして自力邪雜の念を離れて、正直に佛智を領受することを「正受」と言われております。「諸善を行なって」という著述はどこにもありません。

 そして、親鸞会が「教学的には正しい」と言っている「教行信証講義」には、どう書かれているのでしょうか。

大師は、他力の信心について、光明が育みの母となり、名号が与え手の父となり、この父母の因縁に依って、生ずるものであることを教え給うた。また、流るる川の海に入るように、この名号の御謂れを信じて、本願の大智慧海に融け込めば、如来はその念仏の行者をして正しく回向の金剛堅固の信心を受けしめ給う。もし慶喜びの一念が本願のお謂れに相応〈かな〉う時、あの『観経』の教えを受けた韋提希夫人と等しく、歓喜と悟りと信楽の三忍を獲、やがて、浄土に生れては、直ちに無為法牲の尽きざる楽みを証得するであろうと仰せられた。(「教行信証講義」山邊習學 赤沼智善 共著)


 ここの解釈の所で、他力信心は、光明が育みの母となり、名号が与え手の父となると釈しています。そして、名号(南無阿弥陀仏)のお謂れを信じた人を「その念仏の行者」と言っておりますように、どこにも「諸善をせよ、行じた者が行者である」という規定はありません。
  
 それでも、親鸞会の人は、歴代の者が何を言おうが、本願寺の学者(親鸞会では東西を総称して「本願寺」と規定する)が何を言おうが、高森会長の言うことが絶対正しいのだ!無条件服従するのだ!と躍起になってきそうですが、一種のマインドコントロールでも受けているのでしょう。
 阿弥陀仏は法蔵菩薩の御時に、何一つ用意するもののない私たちに、五劫の間思惟し、兆載永劫のご修行をされ、その功徳を南無阿弥陀仏に込められ、先手を打っておられます。

 あとは受け取るだけです。

親鸞会は諸行往生(まとめ)

2009.10.03 (Sat)

 信前の念仏を親の敵のように忌み嫌い、「法戦」でも自力の念仏者に対し、詭弁を随所に交えながら、バトルをやっていた親鸞会が、非常に大切にしているもの、それは諸善と銘打った金集め、人集めであります。
 この金集め、人集めに対し、「諸行往生だ」という声が上がっておりますので、まとめておきました。

☆親鸞会は教義の誤り
親鸞会は諸行往生1
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-1.html


親鸞会は諸行往生2
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-2.html


親鸞会は諸行往生3
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-3.html


親鸞会は諸行往生4
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-4.html


親鸞会は諸行往生5
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-5.html


紅楳英顕著『派外からの異説について』
http://shinrankaiuso.blog76.fc2.com/blog-entry-19.html


☆21世紀の浄土真宗を考える会
御和讃を読む その2
http://kondoutomofumi.blog121.fc2.com/blog-entry-126.html


☆安心問答
問答 三願転入
http://d.hatena.ne.jp/yamamoya/searchdiary?word=%2a%5b%bb%b0%b4%ea%c5%be%c6%fe%5d


☆苦笑の独り言
やさしい浄土真宗の教え §17 阿弥陀仏の本願の行
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-365.html


やさしい浄土真宗の教え §18 阿弥陀仏が十九願を立てられた意義
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-376.html


やさしい浄土真宗の教え §19 『教行信証』化身土巻は「プロセスだからやらなきゃダメ!」なのか?
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-377.html


【投稿】「諸行往生」の解説
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-384.html


【投稿】「諸行往生」の解説(2)
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-386.html


【投稿】「諸行往生」の解説(3)
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-387.html


【投稿】「諸行往生」の解説(4)
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-398.html


Q&A(13)結局、「三願転入」を「全人類」に当てはめて教えるのは間違いなのか?
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-368.html


第十九願の行者の欠点→「九失」(『会●』より!!)
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-385.html


【ツッコミ依頼】教学講議(2009/06/28)にツッコミ!(ラスト)浄土真宗は、宿善ポイントをためないと救われない教えではありませ~ん!!
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-382.html


「諸行往生は本願にあらず」(親●会HPより)
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-397.html


Q&A(18)親●会は「諸行往生」にも値しません。
http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-399.html

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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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