浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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恥を知れ

2009.12.10 (Thu)

 読者の方より投稿がありましたので、紹介させて頂きます。コメントは投稿の後に書いておきますので、お時間のある方はお読み下さい。

しばらく前になりますが、TAXIことHiroshi Makino氏のブログ「辛口!真宗時評」とやらに、本願寺派勧学の、梯実円和上の揚げ足取りみたいな記事が書いてありましたね。。。
----------------------
http://sinshu.blog.shinobi.jp/Entry/505/

末尾に明言されていますように、「信心の智慧を開いて頂くこ
とが大切だ」という結論であります。

すでに、みな、信心の智慧を開いた人ばかりならば、「開いて
頂くことが大切だよ」と勧める必要はありません。
まだ、開いていない人があるから、「開いて頂くことが大切だよ」
と、勧めなければならないのでしょう。

さて、そうなると、ではそもそも「信心の智慧を開いて頂く」
とは、どういうことなのか。俄然、知りたくなります。
それほど大切なことであるならば、ぜひとも「信心の智慧を開いて
頂く」とは、こういうことだと、明らかにして頂きたいと思います。

期待しております。

----------------------

 アホですか。本派の僧侶がこのブログ読んだら、さぞかしビックリするでしょうよ。
「はぁ?このブログの管理人、自分が本派の僧侶であるような事を書いてるが、本当にそうなのか?!梯和上を知らんのか!?」
と。
 梯和上のご著書はたくさんありますが、一冊でも拝読していれば、「明らかにして頂きたいと思います。期待しております。」なんて、舐めたセリフなんか出ない筈です。  
 Makinoよ、お前みたいな内容の無い、重箱の隅をつつくような他人の揚げ足取りに終始したブログしか書けない、本当のご法義を明らかに出来ない人間が、よくもこんな事書けたもんだよ。

 そもそもこの、梯和上が引用されてる法然聖人のお言葉は、S会やT会長みたいに、そしてMakinoのように、 阿弥陀様の御本願を棚上げして、枝葉末節の、善悪の沙汰ばかりしてる者を戒められたお言葉じゃないか!
 法然聖人にも梯和上にもホンットに失礼だな。
 親鸞聖人が泣いておられるよ。。。
 ↓そんなケチをつけてる暇があったらこのご法話を再度、いや百回読め。
本願寺に無意味な因縁つけてる前に、 虚心坦懐に自分の信仰を、言動を振り返れ、Makinoよ! 

http://webradio.hongwanji.or.jp/text/090601.html

 まぁ、Makino氏もMCされて、「本願寺=外道」と信じ込まされちゃってるので、 こうした発想しか出なくなってしまってるのでしょう・・・
もう十年くらい前ですが、座談会で会長が「本願寺は外道と言っても良い」と言ってたのを覚えてます。
 もちろんダメな僧侶も多くいる一方、キチンと阿弥陀仏の本願を説いておられる方がいるのに、
「本願寺の僧侶はみな間違い」
という色眼鏡でしか見れなくなってるから、どんな正しく説かれてる内容をも、素直に受け取れなくなってるのでしょう。
そして会員さん達も、そう刷り込まれて、どんどん正しい教えを聞く機会を遮断される一方、悪知識の会長を「唯一の善知識」と思い込まされ、阿弥陀仏の救いから遠ざかってゆくのです。

最後になりましたが、僕もこのご法話の通りに、自戒していきたいと思います。

南無阿弥陀仏


※カウフマンのコメント
 梯和上の法話を読ませて頂きました。太祖・法然聖人も、中興の祖である蓮如上人も、罪のあるなしで往生が定まるのでなく、念仏の信心を取りたるか取らざるかで往生が定まると仰せであることが分かりました。

 それにしても、無知とは恐ろしいものです。
 他の話は一切読むな、聞くなで「門徒もの知らず」ならぬ「親鸞会会員もの知らず」の様相を呈しているのが一目瞭然であります。

 最近、会長が、電波座談会、じゃなかった電話座談会で、罪のあるなしの沙汰について「救われるまでは無益ではなくて(有益で)、救われる時には無益になる」と言ったそうですが、「アッと驚く、タメゴロー」ですね。

 どうして「ケロリと、こんなことを、いいのける。」ことができるのかと、「カンシンさせられる。」し、
「開いた口が、ふさがらないとは、こういう、ことだろう。」
「余りにも、無神経な」
「まさに、つける薬がない。さすがと、言うべきか。」

本当に「情けなく、思うだけ。」です。

注:赤字で記したのは、会長の「本願寺 なぜ 答えぬ」の言葉です。かなり近藤さんの所から拝借いたしました(爆)
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現代医療を知らない人が、医療についての妄想を書いた話

2009.09.29 (Tue)

 ある講師部員が、ブログ内で医療についての無知からくる暴言を吐いたので、少々突っ込みます。

 問題なのは、

自分がガンの末期となり、医者という医者から匙を投げられ途方に暮れていたところ、ある所にそのガンを治してくれる医者がいると知れば、仕事をやめてでも診察を受けにいくだろう。その時、その医師の指示に絶対従うのではないか?「手術します」と言われて、そんなの嫌です。そんな押し付けは民主主義の精神に反します、傲慢だ、とか言って治療を拒むものだろうか?
そのガンを根絶したいなら私の言ったとおりにしなさいと、医師ならば当然言うだろうし、でも、病気を治したいと思うかどうかは本人の問題である。

病の深刻さを知り、何とか治したいと思うならば、医師の指示には絶対服従が善いか、悪いか、民主主義の価値観を共有する現代に照らしていかがなものか?などという論題がいかに無意味なものか分かるだろう。


というくだりです。

 何を根拠にこんなことを吐いたかは知りませんが、現代の医療の世界では、医療行為を行なう前に、前もって患者に、
・診断内容
・予定される治療法の目的・性質・効果・成功の可能性
・治療後の予想
・費用
・他のふさわしい治療法

を伝え、同意を得た上で医療行為にあたるインフォームド・コンセントが原則となっております。

 インフォームド・コンセントが世界的に普及してきた歴史をたどってみましょう。
 1947年には、ニュールンベルグ綱領で医学的研究のための被験者の意思と自由を保護するガイドラインが定められました。

 1964年、フィンランドの首都ヘルシンキにおいて開かれた世界医師会第18回総会で採択されたヘルシンキ宣言では、
・患者・被験者福利の尊重。
・本人の自発的・自由意思による参加。
・インフォームド・コンセント取得の必要。
・倫理審査委員会の存在。
・常識的な医学研究であること

という原則が定められます。

 ヘルシンキ宣言までは、医療実験に関するインフォームド・コンセントでありましたが、1981年に世界医師会総会で採択されたリスボン宣言では、患者の権利として、
・良質の医療を受ける権利
・選択の自由
・自己決定権
・尊厳性への権利

等が定められました。

 こうしたガイドラインに沿って、医療現場では説明と同意があってからの治療という形態をとっているのですが、どうもある講師部員はそれを知らないようです。文章伝道に携わるのだから、取材くらいきちんとしてもらいたいものです。これでは、会長の嫌う「頭で書いた文章」と文句を言われても仕方がないでしょう。

ある講師のブログより

2009.09.28 (Mon)

 親鸞会の文章伝道を担う、ある講師部員のブログ問題の記事について少々突っ込ませて頂きます。今回問題にするのは、

「仏法に人生を懸けます」「正しく親鸞聖人のみ教えを伝える立派な講師になります」と何千人も前に誓っておきながら、彼らはその誓いを果たさなかった。彼らを信用し、多くの人が出して下された多額の浄財(人によっては何千万も)を受け取っておりながら、不浄説法をして回り、出て行った後も、浄財を返すわけでもなく、それどころか私の青春を返せ!時間を無駄にさせられた!などとこちらに噛み付いてくるのだから、彼らを信じて浄財を出して下された方々にとっては、踏んだり蹴ったりなのである。そういう方々の気持ちにもなってみてはどうなのだろうか。

というくだりです。

 不浄説法とはどのようなものなのかといいますと、
・金銭を得るために法を説く
・見返りを期待して法を説く
・相手を打ち負かすために法を説く
・保身の為に法を説く
・自分は信じてもいないのに法を説く

とありますが、退会後も仏法説いている元講師部員を不浄説法と言って憚らない、会長及び親鸞会の講師の言動はいかなるものかを考えてみましょう。

・金銭を得るために法を説く
・見返りを期待して法を説く


 降誕会や報恩講、記念大会などで御法礼の額が、支部内の連絡でよく回ってきました。本来法施という布施をしたならば、1円出されても、10000円出されても、説く人は有難く頂かねばなりませんし、いくら出されるなんて計算してはいけませんよね。
 会長は、御法礼の額を設定したり、講師を使って「何とか御法礼頑張れませんか」と言わせたりしておりますが、不浄説法と言われても仕方がありませんね。

 そういえば、別の講師部員は、「布施(=親切)とは? 6」の中でこのように教えております。

「あんな奴に施した自分が馬鹿だった!」

と折角の布施行を後悔する心も起きてくるでしょう。

情けない心が知らされます。

一寸の善を行なって、一尺の悪を造るようなもので、

これを「寸善尺魔」と言われます。


 ぜひとも先の講師部員を破邪顕正していただきたいものです。

・相手を打ち負かすために法を説く

 会長が「本願寺なぜ答えぬ」や「法戦」シリーズでは相手の主徴を断章したり、趣旨を曲げたりして何が何でも勝ってやろうとしている文は多々ありますが、これはどうみても「相手を打ち負かすために法を説く」としか思えません。

・保身の為に法を説く

 親鸞会には金集め、人集めの「目標」なるものがありました。未達成講師部員は、始末書を書かされ、問題にされて人事考課にも関わりました。
 目標を達成するために幹部を煽ったり、誓約書を書くまで法話会場に監禁したりなどということもありましたが、とても仏法の精神にかなうものではありません。

・自分は信じてもいないのに法を説く

 納得できない、信じられないことを「深い御心」と誤魔化して自分が信じてもいないのに会員に徹底している人もいるそうです。

 ある講師の方、「仏法に人生を懸けます」「正しく親鸞聖人のみ教えを伝える立派な講師になります」と何千人も前に誓っておきながら、あなたは救われない教えを伝え、その誓いを果たしませんでした。
 会長及びあなたを信用し、多くの人が出して下された多額の浄財を受け取っておりながら、不浄説法をして回り、良識ある人がその非常識さに呆れて出て行った後も、あいつの話を聞いたら地獄だぞ!あいつは不浄説法している!などと噛み付いてくるのだから、彼らを信じて浄財を出して下された方々にとっては、踏んだり蹴ったりなのでありましょう。そういう方々の気持ちにもなってみてはいかがでしょうか。

どこから突っ込んでいいのか分からない

2009.09.27 (Sun)

 親鸞会の講師部員にこんなブログを書いている人がいるようです。
 中でも、最近の記事は痛々しいとでもいうのか、かつて理性的と思っていた講師部員のものとは思えません。

 具体的な突っ込みは後日致しますので、今回は前振りだけしておきます。

☆不浄説法とは?
・金銭を得るために法を説く
・見返りを期待して法を説く
・相手を打ち負かすために法を説く
・保身の為に法を説く
・自分は信じてもいないのに法を説く

☆人につくのか?法につくのか?
・『大論』(大智度論)に四依を釈して云わく、涅槃に入りなんとせし時、もろもろの比丘に語りたまわく、「今日より法に依りて人に依らざるべし、義に依りて語に依らざるべし、智に依りて識に依らざるべし、了義経に依りて不了義に依らざるべし」と。「法に依る」とは、法に十二部あり。この法に随うべし、人に随うべからず(教行信証化身土巻)

☆良源上人と源信僧都の阿弥陀仏の48願の解釈の違いは?
・良源上人は阿弥陀仏の願意は19願にあると解釈したのに対し、源信僧都は、18願を別願と言われた。

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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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