浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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「歎異抄をひらく」を読んで(1) 会員時代に言えなかった会員時代の感想

2010.01.07 (Thu)

「先生、老いたな」
 退会する1年4ヵ月前に、私が「歎異抄をひらく」を一読しての第一声でした。
 まず、文章にキレがない。そして教行信証やその他の親鸞聖人のお言葉をベースにがっつり解釈しているのかと思いきや、普段の説法を貼り付けているだけのようなペラペラの内容でした。
 正直な話、「オレが書いたほうがいいんじゃねえの?ただいろいろな根拠を見出すのにバテて頓座するだろうが」と思っていました。

 会員時代最後の6年間は、進まぬ説法を無理やり有難がったり、教学講義の歯切れの悪さや次々来る金集めの催促に正直イライラしていましたし、そんな最中の「歎異抄をひらく」のあの完成度でしたから、苛立ちの加速は半端ではありませんでした。

 ただ、これを会員の前で口に出したら、間違いなく指摘か除名は免れないだろうと思っていたので、会員の前では、このように言っていました。

「いやあ、僕がこの本の作者であったら、あれやこれやと教行信証の文証上げて、かえって分かりにくい本にしていたかもしれないなあ。先生は言葉を選んで、要の所をコンパクトに書いておられる。やはりレベルが違うなあ」

 会長の歯切れの悪さや会の腐った内情に辟易しながらも、「先生の言うことは間違いない」とかたく信じていましたので、そのように思い込むしかありませんでした。

 そして、しばらくの間、「歎異抄をひらく」は書庫の中に眠っていましたが、退会後、皮肉なことに、梯和上の著書や、近藤さんのブログを通してあの本を読み返す縁があったので、読み返してみました。

 言及したい所はいろいろありますが、まとめると、以下の三項目になります。

・信疑廃立がしっかりと説かれていない。
・行(念仏)と信の関係についての説明で信心を立てすぎる余りに、行がグリコのおまけみたいになっている。
・実は、自由奔放に解釈をしているのは会長自身であった。


 歎異抄について、核心を突いたところは近藤さんのブログにありますので、私自身は、ちょっと別の角度から歎異抄を通して親鸞聖人の教えを明らかにする真似事でもしてみようかな、と思っています。

 実は、信の一念と行の一念についての御消息第七通のお言葉とか、念仏為本の安心論題を出したのは、これから先のためのジャブである、かどうかは想像におまかせします(笑)
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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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