浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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「これが獲信か」で「会費未納者安心」と嘲笑された話の本末

2009.09.30 (Wed)

 親鸞会が内輪で回し読みしている「これが獲信か」というパンフレットがあります。
 これは、平成11年6月に発行されたもので、高森会長がかつて在籍していた浄土真宗華光会が発行している「華光」誌やその他の著書から体験談の一部から切り文を行い、土蔵秘事の体験談と混ぜこぜにして批判したものです。華光会を異安心集団としてネガティブキャンペーンを行おうという意図がありありとうかがえます。
 この冊子の中で、「会費未納者安心」と嘲笑されたエピソードの本末が分かりましたので紹介いたします。
 なお、私自身は下記の方の信心がまことであるか否かについては言及いたしません。阿弥陀仏とその後本人にしか分からないことですから。

 まず、親鸞会は、「これが獲信か」の中でこのように攻撃してきました。

 Bさんは、法座の会計係で、会費を徴収したが、どう計算しても一人分足りない。自分が引き受けた以上は責任があるので、自腹を切られた。そして帰宅して家計簿をつけてみたら、「出してないのは私だった」とがく然とされたそうです。自分のことは棚に上げて、他人ばかりを疑っていた。本当に我ながら、ホトホト愛想が尽きる。情けない自分だと、台所に立ち尽くして、涙があふれてきたそうです。その時、「ああ! こんな私に愛想を尽かさず、寄り添ってくださるお方がおられた!」と気づかれた。
*  *  *  *  *  *
 これが獲信だと仰有る。
「会費未納者安心」とでも言おうか。「こんな程度の体験なら、くさるほどある」と思われた読者も多かろう。
 しかし、これが彼らの「法話」であり、こんな体験が獲信なのだと、堂々と巻頭を飾っているのだ。誌上で紹介されたBさんは、いよいよ「これでよかったのだ」と安心し、読者もまた、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得してゆく。

 この話は、華光会公式ページの「信心の点数」という増井信師の法話の中の一部であり、華光誌55-4号(平成8年10月発行)に掲載されておりますが、親鸞会が行なった切り文が酷いですね。
 詳細は法話の文章を読まれたらよいかと思いますが、簡単に内容を説明しますと、調熟(ちょうじゅく)の光明と摂取の光明について説明し、自力他力の信心の水際を話した後、喜び手のお同行さんであるBさんが、
「仏様の有難いこともよくわかるし、自分の浅ましい事もわかる。でもこの胸ひとつが承知しないのです」
と信境を告白されたエピソードに移ります。
 そこで、増井信師が質疑応答しますが、Bさんは心が晴れなかったようです。その後、家で起きた出来事を、親鸞会は「会費未納者安心」と言って攻撃してきたわけです。

 そして、このように毒づきます。

これが彼らの「法話」であり、こんな体験が獲信なのだと、堂々と巻頭を飾っているのだ。


 妄想が激しいですね。

 では、増井信師がこの後、「これが獲信だ」と言われたのでしょうか?

「ああ! こんな私に愛想をつかさず、寄り添って下さるお方がおられた!」と、気付かれたとおっしゃています。すると、「みんなを救う仏様」から、「私一人のためのご苦労」だったと、味わえてきたそうです。自分でも愛想を尽かし、信用できない者を、先手をかけて信じ切り、ずっと付き切りのお方がおられたのです。
 大きな願いを聞いて、実際にブチあたらせてもらわねば、ここのところはわからない。確かに、おぼえたり、頭で納得する事はできます。でもそれでは、後生と出ていく時には、役には立たない。伊藤先生は「一切を放下(ほうげ)して、自己を反省しろ」とおっしゃった。納得したのも、有難いのも、念仏が出てきたのも、置いていかねばならない。裸になって聴聞せねば、聞いたつもり、わかったつもりで話しあってもダメなんです。教習所なら、先生が横でブレーキを踏んでくれますがね。後生は一人一人の問題です。(華光会公式HP 「信心の点数」より)


 いかに悪質な切り文であるかが分かりますね。

「気付かれたとおっしゃています」
「味わえてきたそうです」
と評しておりますが、
「これが獲信です」
とは一言も認定しておりません。

 そしてその後も親鸞会の妄想は続きます。

誌上で紹介されたBさんは、いよいよ「これでよかったのだ」と安心し、読者もまた、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得してゆく。

 では、読者が、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得するような言い方を増井信師がしているか、この法話の結論をよく読んでみましょう。

 すべてはお育てのおかげだが、そのお育てを喜ぶのではなく、もう一歩出て聞法してもらいたい。逆に「本当は来たくなかった」という方も、それも立派なお育て、お手回しのおかげで、ここに座った以上、もうグズグズ言わないで、さっさと百点満点の身にならしてもらいましょうや。
 さらに、自分は本当に満足の身だ、と断言できる人も、一切を放下して、静かに裸の自己を見つめ直させられる、そんな場所じゃないですか。中々、一人ではそんな事はできませんが、こうして友同行のお念仏の中でこそ、腹を割って聞法させてもらえる。本当に大丈夫か。口に出る南無阿弥陀仏一つで大満足か。ここのところをお互いに問わせてもらう。せっかく高山まで来たんですからね。高山のお念仏、今燃え盛っております。その燃える火の粉を浴びて、共に燃えさせてもらいましょう。有難いものを握らないで、地獄行きの身になってもらいたいと思うわけです。(華光会公式HP 「信心の点数」より)


 信心を認定して「これでよい」と言われるどころか、「自分は本当に満足の身だ」と断言できる人にも聞法を勧めております。

 では、親鸞会では「信心決定した」と言うと、どのような目に遭うのでしょうか?除名話を聞いた人への弾圧が行なわれるそうです。
 こちらに酷い仕打ちの顛末が記されておりますのでよくお読みになられることをお勧めします。
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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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