浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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「行者正受金剛心」のトンデモ解釈

2009.10.08 (Thu)

 親鸞会の講師部員が、正信偈のお言葉に対するトンデモ解釈をしております。おそらく会長の説教を鵜呑みにしてそのまま晒したのでしょう。

 親鸞聖人のお書きになられた正信偈の中に「行者正受金剛心」という御言葉があります。


 親鸞聖人は「行者」が「正しく金剛心を受ける」と教えておられます。

 
 「行者」とは「行う者」「行く者」ということ。

 御釈迦様の教えの通り行う人、御釈迦様の教えられる道を行く人は

 「金剛心(絶対に変わらない心、崩れない幸せ)」の身にさせて頂けると
 いうことですね。


  仏教で教えられている通り、実践しなければ、結果は出ません。


  善いタネを一生懸命蒔きましょう☆
浄土真宗親鸞会親鸞聖人の教えを新潟で☆☆☆ 行者正受金剛心


 これは、新潟にいる、ある講師部員のブログからの引用でありますが、本願他力の意趣にそむいています。
「仏教で教えられている通り、実践しなければ、結果は出ません」の言葉から見ますに、信心決定までにやらねばならない行があって、それをやれという指示に無条件服従し、やった人が「行者」であり、金剛心を獲る資格を持っているかのような感じを受けますが、そうではありません。
 こういう風に言いますと、「それはあなたの勝手なお味わいであろうが、聖教にないものは、仏法ではありませんよ」という会員の声が聞こえてきそうなので、様々な解釈を通して、この「行者」を味わってみましょう。

 まずは、蓮如上人のお言葉からです。

「開入本願大智海 行者正受金剛心」というは、本願の大海にいりぬれば、真実の金剛心をうけしむ、というこころなり。「慶喜一念相応後 与韋提等獲三忍 即証法性之常楽」というは一心念仏の行者、一念慶喜の信心さだまりぬれば、韋提希夫人とひとしく、喜悟信の三忍をうべきなり。(正信偈大意)


 蓮如上人は、「本願の大海に入れば、金剛心を受ける」と説明された上で、「一心念仏の行者」が一念慶喜の信心が定まれば、韋提希夫人とひとしく、喜悟信の三忍を獲ると教えられております。親鸞会の教義のように、親鸞会に財を施し、本部に人をお連れした人が行者であり、その人が金剛心を受けるなんて解釈はなされていませんね。

 次に、歴代の学者はどのように捉えているかを見てみましょう。まず、香月院深励講師です。

「行者正受金剛心」。願海に帰入する処が、即他力金剛心を行者へうる処なり。故にこの句に「行者正受」等と云。
「行者」とは、上句の願海に帰入する行者なり。爾ばこの二句が合していはば、他力金剛心をゑて本願を信ずる相なり、「明信本願相」とす。故に二句の科文を「明信本願相」とす。文の拠をいはば、「十四行偈」の「正受金剛心、相応一念後」この文に依る。(「正信偈講義」香月院深励講師 講述)


 香月院深励講師もまた、「行者」を「願海に帰入する行者」と言われております。そして、他力金剛心を獲て、本願を信ずる姿であると言われていますが、その中に、諸善を規定した言葉があったでしょうか?心を空しうして、言葉に対峙してください。

「行者」とは有縁の人を挙ぐ。「正受」とは、本はこれ三昧の翻語。邪乱を離るを「正」という、法を領納するを「受」という。今は則ち聞信の異称なり。彼の喚遣を聞き、猶予斯に息み、一心正直に願力に乗ずるが故に。(「正信偈要訣」石泉僧叡)


 石泉僧叡師は、「有縁の人」と言われております。では、この有縁が何を指しているのでしょうか?後々のご文の解釈から見ますに、聞信して法を領納した人であり、一心正直に願力に乗じた人であるのが分かります。

 また、利井鮮妙師は、このように解釈しております。

行者とは、能信の者を指す。
○正受とは自力邪雜の念を離れて、正直に佛智を領受するを云ふ。即ち他力信心のことなり。爾るに正受の言は、もと是れ三昧の異名【『玄義分』八丁】なれども、今は轉用して、他力金剛心を顯はす。
○金剛と言ふは、即是れ無漏の體なりと。之れは無漏の佛智を金剛と云ふ。此の信佛智を領受するが故に、能信即金剛心なり。二に喩金剛、『散善義』(九丁)に「金剛の若くなるに由て」とあり、此の信一切の内障外障の爲に破壞せられざる信心なるが故に。但し『玄義分』の金剛心は等覺の金剛心にして自力なり、今は他力の金剛心とす。蓋し轉用なり。(「正信偈摘解」利井鮮妙)


 まず、「行者」を「能信の者」と指しております。そして自力邪雜の念を離れて、正直に佛智を領受することを「正受」と言われております。「諸善を行なって」という著述はどこにもありません。

 そして、親鸞会が「教学的には正しい」と言っている「教行信証講義」には、どう書かれているのでしょうか。

大師は、他力の信心について、光明が育みの母となり、名号が与え手の父となり、この父母の因縁に依って、生ずるものであることを教え給うた。また、流るる川の海に入るように、この名号の御謂れを信じて、本願の大智慧海に融け込めば、如来はその念仏の行者をして正しく回向の金剛堅固の信心を受けしめ給う。もし慶喜びの一念が本願のお謂れに相応〈かな〉う時、あの『観経』の教えを受けた韋提希夫人と等しく、歓喜と悟りと信楽の三忍を獲、やがて、浄土に生れては、直ちに無為法牲の尽きざる楽みを証得するであろうと仰せられた。(「教行信証講義」山邊習學 赤沼智善 共著)


 ここの解釈の所で、他力信心は、光明が育みの母となり、名号が与え手の父となると釈しています。そして、名号(南無阿弥陀仏)のお謂れを信じた人を「その念仏の行者」と言っておりますように、どこにも「諸善をせよ、行じた者が行者である」という規定はありません。
  
 それでも、親鸞会の人は、歴代の者が何を言おうが、本願寺の学者(親鸞会では東西を総称して「本願寺」と規定する)が何を言おうが、高森会長の言うことが絶対正しいのだ!無条件服従するのだ!と躍起になってきそうですが、一種のマインドコントロールでも受けているのでしょう。
 阿弥陀仏は法蔵菩薩の御時に、何一つ用意するもののない私たちに、五劫の間思惟し、兆載永劫のご修行をされ、その功徳を南無阿弥陀仏に込められ、先手を打っておられます。

 あとは受け取るだけです。
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コメント

No title

この人は本気でこれが正しいと思っているのでしょうが、あきれますね。おそらく上司に大目玉でしょう。
「先生のご説法をそのままブログに書いちゃだめだろう!」と。

Re: No title

>元幹部様
 
 コメント有難うございます。学院のブログでもトンデモ教義を発見したので突っ込む予定です。ネタを仕込み中です(笑)

> この人は本気でこれが正しいと思っているのでしょうが、あきれますね。

 恐らくそう思って金集め、人集めの活動に必死でしょう。呆れたものです。
 
> おそらく上司に大目玉でしょう。
> 「先生のご説法をそのままブログに書いちゃだめだろう!」と。

 会合での発言なら、言った言わないの問題になるから大丈夫だと彼らは思っているのでしょうね。言ったことは確実にネットに流れるのにましてや文章として書いたら責任が生じるはずですが…
 恐らくこっぴどく叱られるでしょうね。

No title

ぶっ。
浄土真宗では…ないと思います…
正信げだけ拝読しても、ここは
「本願の大智海に開入すれば、行者正しく金剛心を受け、…」ですから
普通に読んでも行者とは、「本願の大智海に開入した人」ですよね。上に書いておられますように。どうしてそれが「善いタネを蒔いている人」になるんでしょうか。

まさか…善いタネを蒔いていたら、本願の大智海に開入できるとでも…?
善いタネ蒔きの結果が金剛心とは、いくらなんでも高森会長からも聞いた事はないですが、最近はそういう説法をされているのですか?

実践しないと結果はこない。
実践しないと金剛心は獲られない。
金剛心を獲る為に善いタネ蒔きましょう…???

・・・。(絶句)
往生浄土の因となる善いタネ、私が一つでももっているのでしょうか…
兆歳永劫蒔き続けても、他の結果は得られても、「往生の」果は獲られませんよ
タネ持ってないんだから。

蒔くという言葉を使うのなら、阿弥陀様が蒔き続けてくださっているのでしょうね。

Re: No title

>名無しさん

 コメント有難うございます。
 親鸞会は浄土真宗なんてとても言えないです。会長は前後の文脈を読まないで、都合のいい部分だけを切り文するのが得意ですから、こういうトンデモ説教になるのでしょう。
 会長が善を勧めるのは、金集め、人集めと言っても過言ではないです。信心決定なんか念じていないですよ。多くの人に自分をマンセーさせ、会員がどんなに貧乏になっても自分は美味いものを貪り、会員が炎天下や寒い中を人集めに回っていても、自分とその一族は冷暖房の利いた部屋で高見の見物でしょう。
 宗祖の三願転入の告白を、都合のいいように解釈し、善をすれば助かるような言い方で活動に煽り、流転させて何が善知識なのでしょう。呆れてものが言えません。

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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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