浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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信楽房事件について考える(3)信楽房下向に関すること

2009.09.08 (Tue)

常陸の国新堤の信楽坊、聖人親鸞の御前にて、法文の義理ゆえに、おおせをもちいもうさざるによりて、突鼻にあずかりて、本国に下向のきざみ、蓮位房もうされていわく、「信楽房の御門弟の儀をはなれて、下国のうえは、あずけわたさるるところの本尊をめしかえさるべくやそうろうらん」と。(口伝鈔)



(意訳)ある時、信楽房は法文の解釈をめぐって言い争いとなり、親鸞聖人の仰せに従わず、お叱りを受けて本国(常陸)に帰ろうとした時、蓮位房は「親鸞様からお預かりした御本尊を取り返してやりましょうか」と親鸞聖人に申し上げました。

 さて、次第に本題に入ってきました。これからが信楽房事件についての解説であります。当時京都にいたであろう信楽房は、長年仕えてきた親鸞聖人と袂を分かってしまいます。これについて、覚如上人が「口伝鈔」に書かれたのが、先にあげた文です。
 この件については、「どのように」親鸞聖人と対立したか、詳細は述べられていませんが、恐らく次のことが予想されます。

1.善鸞事件の処遇をめぐっての法文の解釈の相違
2.関東で異端とされていた専修賢善義(念仏だけに満足せず、諸善を念仏の助けにしようとしたりする異義)を信楽房が立てた。


 確固たる証文がないのでこれだといえるものはないのですが、この頃起きた関東での異端や、それを正すために派遣された善鸞の言動からすると、可能性が大きいと思われるのが上記の2つではないでしょうか。

 信楽房と善鸞の関係について、真宗大谷派の本山のHPで「しんらんさまめぐり関東編(茨城県南部)」弘徳寺の所で「信楽房は一時、聖人の息男・善鸞を支持して聖人のもとを離れるが」と記してあります。

 また、神奈川県厚木市の弘徳寺のHPには善鸞が晩年に弘徳寺に滞在し、そこで世を去ったとあります。実際、善鸞の墓所もあるとのことです。

 このようなことからも、友人として近しい関係にあったことが推測されますし、親鸞聖人と信楽房との間にどんな対立があったのか、何となく予想できます。(続く)

☆親鸞会の講師部を辞めると1000万円の違約金だそうです。

http://sayonara1929.txt-nifty.com/blog/2008/12/1000-2b87.html

http://nigawaraihonmono.blog59.fc2.com/blog-entry-140.html
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コメント

はじめまして。私ももとS会員です(笑)
カウフマン様の記事、興味深く読ませていただいております。
更新楽しみにしております(´∀`)

はじめまして(^o^)

>Rudelさん

はじめまして(^o^)
何か突貫工事みたいな形で開設してしまいました。まだまだ勉強不足なので読みづらい所もあるかと思いますが、今後ともよろしくお願いします。

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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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