浄土真宗親鸞会を考える 新・ハトの会

親鸞会教義の誤りや問題点をまとめて行きたいと思います。

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辛口!真宗時評での断章事件を追う(3) 不誠実な対応その1

2009.10.20 (Tue)

 先回の続きです。「阿弥陀仏の本願文の『若不生者』の『生まれる』は『信楽に生まれる』という解釈をする布教師(高森氏)の解釈もまた自己流ではないのか」と核心を突いた淀川コナン氏のコメントに対し、makino氏は、以下のようにコメントを返しました。

コメント有り難うございます。
お尋ねしますが、
A「若不生者と誓われた阿弥陀仏のご本願があるから
 信楽の心になれる時が必ず来るんだ
 一念の信心を喜んでいる人は
 死ねば極楽往生間違いないんだ」
B「若不生者と誓われた阿弥陀仏のご本願があるから
 信楽の心にまことに時至って(信楽の心を阿弥陀仏から頂いて)
 一念の信心を喜んでいる人は
 死ねば極楽往生間違いないんだ」
AとBとは、どこが違うのでしょうか。
誰が聞いても分かるような、決定的な違いを、聞かせてください。


 これを書きながら、管理者が苦々しい表情をしていたことが容易に想像できます。アニメ「世界の光・親鸞聖人」第2部のいろいろな誤りが白日の下に晒され、「若不生者」の解釈をめぐっての論争で惨敗続きの親鸞会ですから内心焦っていたのでしょう。
 そこで、淀川コナン氏をはぐらかしにかかったのではないでしょうか。

 それに対し、淀川コナン氏は、10月9日夜に、このようにコメントを返しました。

管理人様。返信遅くなりました。
聡明な管理人様ならばお解りだと思ったのですが…。
Aの解釈ならば、「若不生者のちかいゆえ」は「信楽まことにときいたり」に係ります。つまり「若不生者」の生は「信楽」の心に生まれさせる、という解釈ですね。
その布教師も、そう言っています。
Bの解釈は、「若不生者のちかいゆえ」は「往生かならずさだまりぬ」に係ります。つまり「若不生者」の生は「極楽」に生まれさせる、という解釈です。
また、その布教師は「一切衆生必堕無間と経典に書かれています」と言っていますが私はそんな経典を知りません。管理人様はご存知ですか?


 このコメントのタイトルは、「管理人様」でしたが、この後、タイトルを削り、本文も改変してその内容に対して返信するという非常に不誠実な対応を管理者は行なったのでした。カッコで囲んで、赤字で記した所が消された部分です。

管理人様。返信遅くなりました。
(聡明な管理人様ならばお解りだと思ったのですが…。)
Aの解釈ならば、「若不生者のちかいゆえ」は「信楽まことにときいたり」に係ります。つまり「若不生者」の生は「信楽」の心に生まれさせる、という解釈ですね。
(その布教師も、そう言っています。)
Bの解釈は、「若不生者のちかいゆえ」は「往生かならずさだまりぬ」に係ります。つまり「若不生者」の生は「極楽」に生まれさせる、という解釈です。
(また、その布教師は「一切衆生必堕無間と経典に書かれています」と言っていますが私はそんな経典を知りません。管理人様はご存知ですか?)


 まあ、(聡明な管理人様ならばお解りだと思ったのですが…。)の部分はともかく、(その布教師も、そう言っています。)の部分は、正体を隠し、出典も明らかにしないで師匠の受け売りをしている管理者にとって非常に都合が悪かったに違いありません。
 親鸞会会長の高森氏は、己の出身である華光会のことを、名前を伏せて「土蔵秘事やそれに類するもの」と決め付けて、ネガティブキャンペーンを行なっておりましたが、弟子の言動を見ると、土蔵秘事やそれに類するもので活動していた師匠の教えに従って秘事法門でもやっているかのような印象を感じてしまいます
 先回のエントリでも書きましたが、なぜ師匠についても問われていたのに、回答できないのでしょうか。
 それと、(また、その布教師は「一切衆生必堕無間と経典に書かれています」と言っていますが私はそんな経典を知りません。管理人様はご存知ですか?)の部分はさらに都合が悪かったのでしょう。
親鸞会教義の誤り」のブログの、「一切衆生は必堕無間なのか」の所で指摘されて以来、弘宣部も、教学課も、一切反論をしておりませんし、「ネットを見るな」の一点張りです。ブログの内容について質問したある特専部員を除名にしても、一切反論がないということは、降伏とみなされてもおかしくないですね。

辛口!真宗時評での断章事件を追う(2) 論点はどこか?

2009.10.19 (Mon)

 先回は、「辛口!真宗時評」管理人の勧誘の活動について紹介いたしました。今回はもう一度この事件の争点は何であるかをおさらいしましょう。
 事の発端は、辛口!真宗時評の10月5日の記事でした。「みほとけとともに 西本願寺の時間」での登尾唯信氏のラジオ法話に対し、makino氏は、このように批判いたしました。

こういう自己流の解釈を説法と呼べるのか

ラジオ法話「みほとけとともに 西本願寺の時間」では、
登尾唯信氏の「挫折もまた人生」でした。
豆腐を運んでいた少年が、転んで、豆腐を落としてしまっ
たけれども、豆腐屋さんは「お母さんに謝るしかないな」
と言い、お母さんは、「まだここは食べれるからね」と、
少年をとがめなかった、そこに、阿弥陀如来の慈悲を見て
云々・・・・。
途中、聖人のお言葉を少し出しているとはいえ、全編これ
「私は、このように味わいました」という自己流の解釈で
終始しています。

あなたのその解釈が、祖師の御心にかなうのか、どうか。
それは、祖師のお言葉を示して、明らかにせねばならぬと
ころですが、それがなければ、「自己流の解釈」といわれ
てもしかたありません。

「聖人一流のご勧化のおもむきは」
「祖師聖人ご相伝一流の肝要は」
「それ聖人のご一流においては」
常に、親鸞聖人の御心一つ、明らかにされた蓮如上人です。

「さらに親鸞珍しき法をもひろめず。
 如来の教法を我も信じ、人にも教え聞かしむるばかりなり」
親鸞聖人は、常に、釈迦如来の教法=仏教一つ明らかにされ
ました。

「如来所以興出世 唯説弥陀本願海」
釈迦は、一代、阿弥陀如来の本願一つ説かれました。

さすれば、弥陀の本願を、釈迦もそれ一つ教えられ、祖師も
それ一つを明らかにされ、蓮如上人も無我に相承していかれ
たのでした。

上記のラジオ法話は、とても、その御一流からは大きくかけ
はなれたと、言わざるを得ません。(辛口!真宗時評 こういう自己流の解釈を説法と呼べるのかより)


 本願寺派、大谷派、その他真宗十派と言っても、まことの信心を頂いて、そのままを説かれる方もあるでしょう。味わいばかりに終始する人もおります。ただ、法話を聞かせていただく側の思いとしては、教化する人には以下の「蓮如上人御一代記聞書」のお言葉を胸に、話をして頂きたいものです。

一 聖教を拝見申すも、うかうかと拝みまうすはその詮なし。蓮如上人は、ただ聖教をばくれくれと仰せられ候ふ。また百遍これをみれば義理おのづから得ると申すこともあれば、心をとどむべきことなり。聖教は句面のごとくこころうべし。そのうへにて師伝口業はあるべきなり。私にして会釈することしかるべからざることなり(蓮如上人御一代記聞書89


 さて、先の「辛口!真宗時評」の記事に対し、淀川コナンさんという人から、10月7日にコメントの投稿がありました。
 

私も、自己流の解釈をする布教師を知っています。
例えば、親鸞聖人のご和讃の
若不生者のちかいゆえ
信楽まことにときいたり
一念慶喜する人は
往生かならずさだまりぬ
の解釈を
若不生者と誓われた阿弥陀仏のご本願があるから
信楽の心になれる時が必ず来るんだ
一念の信心を喜んでいる人は
死ねば極楽往生間違いないんだ
と解釈しています。
管理人様ならご存知だと思いますが、このご和讃は
若不生者と誓われた阿弥陀仏のご本願があるから
信楽の心にまことに時至って(信楽の心を阿弥陀仏から頂いて)
一念の信心を喜んでいる人は
死ねば極楽往生間違いないんだ
と解釈されます。
ご自分の味わいとしてならば、宜しいとはおもいますが....。

 
 ここで、自己流の解釈をする布教師といわれる人とは誰なのでしょうか?浄土真宗親鸞会会長の高森氏であります。
 高森氏は、

 たとひわれ仏を得たらんに、十方の衆生、至心信楽して、わが国に生ぜんと欲ひて、乃至十念せん。もし生ぜずは、正覚を取らじ。ただ五逆と誹謗正法とをば除く。
意訳:わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを謗るものだけは除かれます。(無量寿経・18願文より


と仰せになられた阿弥陀仏の18願文の、「もし生ぜずは、正覚を取らじ」の「生れる」の部分を「信楽に生まれさせる」と自己流の解釈をしております

 この間違いについての文証は、以下の通りです。

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり(尊号真像銘文【1】

「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。「此即是願往生行人」といふは、これすなはち往生を願ふ人といふ(尊号真像銘文【10】

「乃至十念 若不生者 不取正覚」(大経・上)といふは、選択本願(第十八願)の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。(唯信鈔文意【8】



「尊号真像銘文」は「わが浄土にもし生れずは仏に成らじ」、「もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり」とありますし、「唯信鈔文意」には、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とあります。これらの親鸞聖人のお言葉から、「信楽の心になった者を、阿弥陀仏の極楽浄土に生まれさせることが出来なかったならば、仏の悟りを開きません」ということは明らかであります。

☆どちらがウソか?
浄土真宗:若不生者の「生」は信楽の心になった人を阿弥陀仏の浄土に往生させることである。
親鸞会:若不生者の「生」はすべての人を信楽の身にするである。
親鸞聖人:わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり


 そして、これについて、論争があったブログは以下の通りです。
チューリップ企画と田中一憲の法論
若不生者の「生」は、なぜ「信楽に生まれる」なのか。

辛口!真宗時評での断章事件を追う(1) 管理者の正体を隠した布教と勧誘

2009.10.18 (Sun)

 以前書いた「辛口!真宗時評」での論争が、管理人による一方的な断章という経過をたどった後、コメントのやり取りの削除、「(株)チューリップ企画と田中一憲氏の論戦」への誘導という結果になりました。
 捏造、断章取義を駆使して「勝った!」と言って憚らない親鸞会のやり方の汚さばかりが浮き彫りとなりましたが、この顛末を追ってみたいと思います。

makino hiroshi氏とはどのような人か?

 この事件で非難された、makino hiroshi氏は、「浄土真宗の祖師・親鸞聖人フォーラム」の管理人のmakino hiroshi氏であり、親鸞会講師部の牧野拓志氏ではないかと思われます。
親鸞聖人フォーラム」のリンクのページから問題となったブログへのリンクがありますのでおそらく牧野氏本人でありましょう。
辛口!真宗時評」での断章取義の件以外にも、makino氏の言動については解せない部分がありますので、事例を基に、検証していきましょう。

 まずは、親鸞会という己の立場を明らかにしないということです。

 makino氏は、「親鸞聖人フォーラム」の頃から今に至るまで、自分の所属する親鸞会というを明らかにしないで布教勧誘を行なっております。
 問題のブログでも、「幸福の科学が『幸福実現党』を立ち上げ」でのコメントへの返信で、立場を隠し、個人情報を問うて親鸞会への勧誘を行なっております。

どこにおられますか?
管理人様

返信ありがとうございます。
その、弥陀の本願を正しく説いている方は、どこにおられますか?話を聞きたいです。
NONAME 2009/05/31(Sun)08:19:56 編集
NONAME様
以下のことを下記のメールアドレスへお知らせ下さい。出来る限りご案内します。
なお個人情報はこのブログ上には決して公開しませんのでご安心下さい。
・お住まいの都道府県(できれば市町村くらいまで)
・メールアドレス(携帯でもPCでも)
・お名前(ニックネームでもかまいません)
よろしくお願いします。
★「下記のメールアドレス」とは、このコメント本文の下に「管理人」とありますが、
そこにポインター(マウス)を乗っけると出てくるアドレスです。
 そのままクリックすれば、メーラーが立ち上がって、メールが送れると思います。

管理人 2009/06/01(Mon)10:37:24 編集

幸福の科学が「幸福実現党」を立ち上げのコメント欄より)


 他にも、「ネット上で人気 『法子と朋美』」でいきなり親鸞会の宣伝用ビデオにリンクし、「辛口!」なブログで甘口なコメントをして、さりげなく親鸞会という言葉を入れておりますが、なぜ、立場を明らかにできないのでしょうか?

 このような布教方法は、10数年前から変わっていないようです。1998年の12月に、「十派一絡」というサイトでのやりとりでこんなことがありました。

牧野拓志 - 98/12/23 20:19:24
ホームページアドレス:http://www.nsknet.or.jp/~h-makino/
電子メールアドレス:h-makino@nsknet.or.jp
タイトル: 難度海を度する大船


コメント:
はじめまして といいましょうか、毎度おなじみの、とでも申しましょうか。 親鸞聖人フォーラムの牧野拓志です。 ここの管理人さんともお話ししまして、なるべく親鸞聖人のみ教え、聖人の精神について語らう場所にしようということで、一致しましたので、発言します。以後、よろしく・・・。「難思の弘誓は、難度海を度する大船」 親鸞聖人、教行信証冒頭のお言葉です。  難思の弘誓とは、想像を超えた阿弥陀仏の誓願。難度海とは、苦しみに満ちた、全人類の人生。 「私ほど不幸なものはいない」と、人生苦に泣く人々に、親鸞聖人は、「その難度海を度する大船があるぞ。早く乗れよ」と叫んで行かれました。 派が違い、団体が異なろうとも、求めるべき聖人の教えは一つ。 ともに、「私の感動した、親鸞聖人のお言葉」というようなテーマでぜひ、語り合いたいですね。  では、また。

十派一絡 座談会 過去ログ1より


 これに対し、以下のような書き込みがなされていましたが、結局makino hiroshi氏からの誠意ある回答はありませんでした。

葦 - 98/12/24 01:01:15
タイトル: HPの宗派名が書かれていないのはどうしてですか?


コメント:
HP「十派一絡」のリンク紹介でHP「親鸞聖人ふおーらむ」が紹介されていて、早速拝見しまして座談会(掲示板)を覗いてみたら、丁度、管理人の御本人からの書き込みが有って、尊いお言葉を読ませていただきました。
有り難う御座います。

所でHP「親鸞聖人ふおーらむ」には、表紙の何処にもそのHPの所属する宗派を表す記事が無いので少し不思議に思いました。以前の横浜ファンさんのHPには、確かに「私的なHPです。」とのお断りが有りましたが、御自分の属しておられる宗派名は明記されて有ったと思います。
「親鸞聖人ふおーらむ」に関しては大部なHPですので、それこそ全部読もうと思えばプリントアウトしなければならないと思いますし、そういう意味で全部読ませて頂いた訳ではありませんので、きっとどこかに、このHPの所属しておられる宗派についてのコメントが有るのでしょうが、あれだけ立派なHPで有れば、やはり表紙にそのHPの所属する宗派名を明記されるべきでは無いでしょうか。

例えば、あのHPが横浜ファンさんと同じように私的なHPならば、それはそれで横浜ファンさんの様に「私的なHPで有る旨」を明記された上で、やはり所属する宗派名を表紙のページにハッキリと記載される事が望ましいのでは無いかな、と思います。

立派なHPだけに、一体どちらの宗派の方が作っておられるのか分からないようでは勿体無い気もしますので。

decult - 98/12/24 03:43:46
タイトル: 皆さん、ようこそ


コメント:
浄土真宗親鸞会の牧野監正部長さんまでご参加くださり、ご苦労様でございます。横浜ファンさんの掲示板でお見かけして以来ですね。親鸞会の機関紙にインターネット上での法論を載せておられることがありますが、ちょっと気がかりです。失礼ながら、ここの掲示板を機関紙の記事ネタ集め、『法戦』シリーズのネタ集めのために利用なされるようなお考えはありませんでしょうか。どうでしょうか?共に学ばせていただきましょう。

葦さんもようこそ。
>「親鸞聖人ふおーらむ」に関しては大部なHPですので、それこそ全部読
>もうと思えばプリントアウトしなければならないと思いますし、そういう
>意味で全部読ませて頂いた訳ではありませんので、きっとどこかに、この
>HPの所属しておられる宗派についてのコメントが有るのでしょうが、あ
>れだけ立派なHPで有れば、やはり表紙にそのHPの所属する宗派名を明
>記されるべきでは無いでしょうか。
ということですが、それなりの事情(?)がおありなのでしょう。牧野さんが開かれている『親鸞聖人ふぉーらむ』の今週の金言のバックナンバー「(30)摂取心光常照護(1)」には、


「定聚の数に入ることを喜ばず」は、絶対の幸福に救われたことを喜ぶ心がない、という意味です。本願寺の連中も喜ぶところで、親鸞聖人でさえ、喜ばれんと仰有っているのに、我々が喜ばれるはずがない。喜ばれんのがあたりまえ。それを親鸞会は、広大難思の慶心だとか、天におどり地におどると言うが、バカ言え、と本願寺は言うのです。

と記されておりまして、表紙のページにはどこの教団と関係があるとも記されていないのに、ここで何の説明もなくいきなり「親鸞会」という教団名が出てきますので、当惑された読者もおられたのではないかと思います。
大学での親鸞会の勧誘活動においても教団名は隠されますが、そういう事情については他の掲示板で正々堂々と説明していただくことにして、ここでは問わないことにしましょう。いかがなものでしょうか?十派一絡 座談会 過去ログ1より


 以前の親鸞聖人フォーラムの頃からまったく進歩していないようです。配慮云々もありましょうが、親鸞会学友部のダミーサークルが問題になっているのに、こういうことをしてしまうmakino氏の感覚が分かりません。
 なぜ、
「私の師匠は浄土真宗親鸞会会長の高森先生である」
と言えないのか、理解に苦しみます。

親鸞会法論史に新たなる1ページ??

2009.10.14 (Wed)

 捏造、断章取義を駆使して「勝った!」と言って憚らない親鸞会の法論史に新たな1ページが刻まれました。
 清森問答投稿:『辛口!真宗時評』管理人様にてその顛末を見させて頂きましたが、明らかに淀川コナンさんVS makino hiroshiさんの議論は、宗祖のお言葉を土俵にした場合、makino hiroshiさんの反則による大減点と、試合放棄による淀川コナンさんのTKOでありましょう。

 文証は、以下の通りです。

「若不生者不取正覚」といふは、「若不生者」はもし生れずはといふみことなり、「不取正覚」は仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。このこころはすなはち至心信楽をえたるひと、わが浄土にもし生れずは仏に成らじと誓ひたまへる御のりなり(尊号真像銘文【1】

「若不生者不取正覚」といふは、ちかひを信じたる人、もし本願の実報土に生れずは、仏に成らじと誓ひたまへるみのりなり。「此即是願往生行人」といふは、これすなはち往生を願ふ人といふ(尊号真像銘文【10】

「乃至十念 若不生者 不取正覚」(大経・上)といふは、選択本願(第十八願)の文なり。この文のこころは、「乃至十念の御なをとなへんもの、もしわがくにに生れずは仏に成らじ」とちかひたまへる本願なり。(唯信鈔文意【8】


 詳細は、後日じっくり書かせて頂きたく思います。
 ネタはいろいろありますが、しっかりと仕込ませて頂きます。

「これが獲信か」で「会費未納者安心」と嘲笑された話の本末

2009.09.30 (Wed)

 親鸞会が内輪で回し読みしている「これが獲信か」というパンフレットがあります。
 これは、平成11年6月に発行されたもので、高森会長がかつて在籍していた浄土真宗華光会が発行している「華光」誌やその他の著書から体験談の一部から切り文を行い、土蔵秘事の体験談と混ぜこぜにして批判したものです。華光会を異安心集団としてネガティブキャンペーンを行おうという意図がありありとうかがえます。
 この冊子の中で、「会費未納者安心」と嘲笑されたエピソードの本末が分かりましたので紹介いたします。
 なお、私自身は下記の方の信心がまことであるか否かについては言及いたしません。阿弥陀仏とその後本人にしか分からないことですから。

 まず、親鸞会は、「これが獲信か」の中でこのように攻撃してきました。

 Bさんは、法座の会計係で、会費を徴収したが、どう計算しても一人分足りない。自分が引き受けた以上は責任があるので、自腹を切られた。そして帰宅して家計簿をつけてみたら、「出してないのは私だった」とがく然とされたそうです。自分のことは棚に上げて、他人ばかりを疑っていた。本当に我ながら、ホトホト愛想が尽きる。情けない自分だと、台所に立ち尽くして、涙があふれてきたそうです。その時、「ああ! こんな私に愛想を尽かさず、寄り添ってくださるお方がおられた!」と気づかれた。
*  *  *  *  *  *
 これが獲信だと仰有る。
「会費未納者安心」とでも言おうか。「こんな程度の体験なら、くさるほどある」と思われた読者も多かろう。
 しかし、これが彼らの「法話」であり、こんな体験が獲信なのだと、堂々と巻頭を飾っているのだ。誌上で紹介されたBさんは、いよいよ「これでよかったのだ」と安心し、読者もまた、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得してゆく。

 この話は、華光会公式ページの「信心の点数」という増井信師の法話の中の一部であり、華光誌55-4号(平成8年10月発行)に掲載されておりますが、親鸞会が行なった切り文が酷いですね。
 詳細は法話の文章を読まれたらよいかと思いますが、簡単に内容を説明しますと、調熟(ちょうじゅく)の光明と摂取の光明について説明し、自力他力の信心の水際を話した後、喜び手のお同行さんであるBさんが、
「仏様の有難いこともよくわかるし、自分の浅ましい事もわかる。でもこの胸ひとつが承知しないのです」
と信境を告白されたエピソードに移ります。
 そこで、増井信師が質疑応答しますが、Bさんは心が晴れなかったようです。その後、家で起きた出来事を、親鸞会は「会費未納者安心」と言って攻撃してきたわけです。

 そして、このように毒づきます。

これが彼らの「法話」であり、こんな体験が獲信なのだと、堂々と巻頭を飾っているのだ。


 妄想が激しいですね。

 では、増井信師がこの後、「これが獲信だ」と言われたのでしょうか?

「ああ! こんな私に愛想をつかさず、寄り添って下さるお方がおられた!」と、気付かれたとおっしゃています。すると、「みんなを救う仏様」から、「私一人のためのご苦労」だったと、味わえてきたそうです。自分でも愛想を尽かし、信用できない者を、先手をかけて信じ切り、ずっと付き切りのお方がおられたのです。
 大きな願いを聞いて、実際にブチあたらせてもらわねば、ここのところはわからない。確かに、おぼえたり、頭で納得する事はできます。でもそれでは、後生と出ていく時には、役には立たない。伊藤先生は「一切を放下(ほうげ)して、自己を反省しろ」とおっしゃった。納得したのも、有難いのも、念仏が出てきたのも、置いていかねばならない。裸になって聴聞せねば、聞いたつもり、わかったつもりで話しあってもダメなんです。教習所なら、先生が横でブレーキを踏んでくれますがね。後生は一人一人の問題です。(華光会公式HP 「信心の点数」より)


 いかに悪質な切り文であるかが分かりますね。

「気付かれたとおっしゃています」
「味わえてきたそうです」
と評しておりますが、
「これが獲信です」
とは一言も認定しておりません。

 そしてその後も親鸞会の妄想は続きます。

誌上で紹介されたBさんは、いよいよ「これでよかったのだ」と安心し、読者もまた、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得してゆく。

 では、読者が、「なるほど、こんな体験が獲信か」と納得するような言い方を増井信師がしているか、この法話の結論をよく読んでみましょう。

 すべてはお育てのおかげだが、そのお育てを喜ぶのではなく、もう一歩出て聞法してもらいたい。逆に「本当は来たくなかった」という方も、それも立派なお育て、お手回しのおかげで、ここに座った以上、もうグズグズ言わないで、さっさと百点満点の身にならしてもらいましょうや。
 さらに、自分は本当に満足の身だ、と断言できる人も、一切を放下して、静かに裸の自己を見つめ直させられる、そんな場所じゃないですか。中々、一人ではそんな事はできませんが、こうして友同行のお念仏の中でこそ、腹を割って聞法させてもらえる。本当に大丈夫か。口に出る南無阿弥陀仏一つで大満足か。ここのところをお互いに問わせてもらう。せっかく高山まで来たんですからね。高山のお念仏、今燃え盛っております。その燃える火の粉を浴びて、共に燃えさせてもらいましょう。有難いものを握らないで、地獄行きの身になってもらいたいと思うわけです。(華光会公式HP 「信心の点数」より)


 信心を認定して「これでよい」と言われるどころか、「自分は本当に満足の身だ」と断言できる人にも聞法を勧めております。

 では、親鸞会では「信心決定した」と言うと、どのような目に遭うのでしょうか?除名話を聞いた人への弾圧が行なわれるそうです。
 こちらに酷い仕打ちの顛末が記されておりますのでよくお読みになられることをお勧めします。

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プロフィール

カウフマン

Author:カウフマン
かつて浄土真宗親鸞会の学生部、青年部、支部にて幹部として活動しておりました。現役時代から会の教義について疑問を抱きつつ活動しておりましたが、最終的には「浄土真宗親鸞会の教義は浄土真宗ではない」と袂を分かちました。退会後、元会員の方々のブログでお世話になり、法に接していくにつれ、次第にそのMCも晴れ、今日までのS会での悪疑を恥づるに余念がありません。南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

連絡は
adolf_kauffman0521@livedoor.com
まで!

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